世の中なんてほとんど思い込みと勘違いでできている。

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気がついたら新年明けていたし、このブログも2ヶ月放置していた。

怒涛の11月12月だったように思うけど、よく覚えていないくらい曖昧な記憶。

それでもいろんな動きがあって、
きっかけ作りをしてくれた人にはとても感謝。とくに何をお返しできるってわけでもないけど。
かなり充実した日々が送れています。

 

さて本題だ。

職場でインフルエンザがついに出た。
社会人にとって体調管理はあたりまえの仕事だ。

 

と、ここまでだと、愚痴っぽく聞こえるが、

あたりまえではあるけど、誰にだって間違いや失敗はあるんだから
仕方ないことだと思う。
ましてやウィルスなんて、どこで貰うか分からないし、
予防はできたとしても、それすら意味がないこともある。

こういうことを、しばしば前段のみで発言することがある。
そして自分の真意とは裏腹に伝わることがある。
(全てを言っていないのだから、あたりまえだ。)

たとえ間違って伝わっていたことに気づいても
まあいいか。で済ませてしまうことが多い。

なぜなら「まあいい」からである。

この発言が、誰かに直ちに影響するならば、
すぐさま訂正するだろうが、自分のことがどうなろうと
「まあいいか」なのである。

1つは、ボキャブラリと熱の問題。
それを弁明するだけの言葉の表現も、熱量も持ち合わせていない。
むしろ話を拗らせかねない。
それを訂正しようとしても、たぶん相手の納得いく答えはでないからだ。

「まあいいか」で済ますにはもう一つ理由がある。

自分にとってそこまでクリティカルな話題ではないことだからだ。
前述の「こいつ愚痴言ってるな」と捉えられかねない発言も、

自分は愚痴のつもりでは言ってないけど、
(場合によっては)愚痴の一つぐらい、人間なんだから言うこともあるし
そうならば、そう捉えられても大したことではない。

その発言自体は愚痴ではなくたって、他に愚痴をいうこともある。

どれが真でどれが偽か、それを訂正するほどの話題でもない。

悪い言い方をすれば、「どうぞ御勝手に」なのだ。
(実際にはそんなこと思っていないし、割と反省してるけど)

悶着は好きではないしね。

 

結論を言えば、ラクな手段で生きているだけ。
相手を変えるより、自分を変える。
不器用な人間にはオススメするね、この生き方。

こういう書き方をすると、「我がない」ことと混同する人もいるけど
それはまた別問題。その話はまたいつか。

 

らく
心身に苦しみがなく、(ゆったりして)安らかなこと。
 「―をする」
苦労するまでもなく、たやすいこと。
「こんな仕事なら―だ」
 ラクとは、まんざら悪い意味でもない。